お宮参りの由来 an-miko.gif

 

お宮詣りは古来 産土(うぶずな)詣り」と呼ばれ、子供の誕生を産土の神に感謝し、その子の成長を祈願したという故事に由来します。

また、かつてはお産が汚れたものだと考えられていたため、別名「忌み明けの祝い」ともいい、産婦の忌み明けと子供の氏子入りの儀式とを兼ねていました。

今日のように「お宮詣り」という呼称が用いられたのは、室町時代からだといわれ、当時は色直し(お産のあと日常生活にもどる)のあとの吉日と選び母子揃ってその氏神様に詣り、子供の氏子入りをすませたあと、部屋にも飾りをつけて産土の神をお祭りしていたようです。

江戸時代には、お宮詣りの帰途に大老・井伊掃部頭宅へ挨拶に立寄る風習が生まれ、それ以来庶民の間でもこれにならって親類や知人宅へお宮詣りの風習やしきたりは、その後も大切に受け継がれ、今でも当時の名残をのこし、おめでたい家庭の歳事といて全国各地で行われています。

 

 

お宮参りの
時期と祝い方
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お宮詣りは通常男児は生後30日目か31日目、女児は31日目か32日目に行うのが定説とされています。

しかし、地方によっては男児が50日目、女児が51日目のところや男女とも百日目というところもあります。

時期や日時はあまり古式にこだわらず、ひとつの地方的なしきたりと考えていいでしょう。

むしろお宮詣りは生後1ヶ月くらいの子供を初めて公的に外出させるわけですから、まず、子供の健康状態を第一に考え、真冬や真夏などの厳しい日は避け天候の良い時期や吉日を選び、付添いの人の都合や体力が十分に回復していない母体への配慮も考えて決定する必要があります。

こうした考えから昨今は子供の体調や気候を考え合わせて、おだやかな日を選んで有名神社にこだわらず、最寄りの神社や近くの守護神にお詣りされているご家庭もあり、「しきたり」は時代とともに少し移りかわっています。

 

 

お祝着の着せ方と
お詣りの仕方

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お宮詣りの祝着は、一般に「一ッ身」とか「熨斗目(のしめ)」と呼ばれ母親の里方から贈られる場合が多いようです。

男児には婚家先の定紋を五つ入れた熨斗目模様の紋付の祝着、女児には絵羽模様のものが多く用いられ、これがお宮詣りの正装とされています。

当日は子供に新調のきもの(抱き着)を着せ、フード(帽子)とよだれかけをかけ、その上から祝着を掛け着として着用します。

掛け着の着せ方は祝着を広げ、子供の背中をおおうように掛け、紐の一方を肩側に、他方を脇から通して抱き手の人の背で蝶結びにします。

お宮詣りにでかけるとき、通常は祖母か近親の女性が子供を抱くものとされています。

これは、産後の母体を気づかってのことと、お産を忌む風習の名残で子供を潔めるために母親以外の女性が抱いてお詣りしたものと考えられます。

しかし、夫婦でお詣りされる場合はやはりお母さんが抱かれるのが自然でしょう。

また、付添いの人の装いは、留袖などのような紋服が正式な衣装とされていますが、訪問着、付け下げ色無地の着物など伝統的な儀式にふさわしい装いであればことさら着物にこだわる必要はありません。

お詣りの仕方にも定めはありません。神社や氏神様の神前で揃って祈願するだけでもかまいませんが、丁寧にされる場合は、社務所に申し出て、神官のお祓いを受け、祝詞をあげてもらいます。

その場合のお礼には、のし袋か封筒にお礼の金額を入れ、表書きに「御初穂料」か「御玉串料」と書き添えて渡します。